グラスホッパーから抜け出せない

 

改めて、グラスホッパー公開おめでとうございます!

 f:id:m0u0m_7:20151111052402j:plain

 

今回はレポではなくただの感想文です。

ネタバレ有りですし、主観的感想や理想を、拙い表現で思いのまま、ツイッターとは比べものにならないほど重く長々と綴っていますので予めご了承を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完成披露試写会から1ヶ月とちょっと。

ついに世に放たれたグラスホッパー

俳優山田涼介としての新境地が、これほどまでに衝撃的ですべてが新しく感じたのは初めてかもしれない。

それなりに山田さんを見てきたつもりだけど、こんな山田さん知らない!ってショックもあり、こんな山田さんもいるんだ!って新発見できた嬉しさもあり。

だけどこういう山田さんをずっと見てみたかったわぁぁ~~!っていう気持ちが大きいなぁ。

「普通の役できるの?」なんてもう言われないし、言わせない。山田さんの可能性の大きさを見せつけてしまったなぁ~と私の低い鼻がいつもより高々としていた。

しかしそうは思いつつも私自身正直これマジで映画初撮影作品か?とびっくりした。スクリーン映えする細かな表情や仕草に、そうそうたる俳優の方々にも引けを取らない存在感。それは「蝉」という役に飲まれず置いて行かれることもなく、堂々と物語の軸のひとつとして担う山田さんの中で、ブレのない「蝉」という人物像を確立させていたからだと思う。だって蝉の風貌だけでなくキャラクターがとても魅力的に見えたから。

まばたきひとつを取っても、血しぶきを浴び慣れてる感じや、ナイフを自分の体の一部のように使いこなし、ためらいなく急所を狙い次々と人を殺していく猟奇的な殺人シーンを見たあとに、迷い猫をちゃんと届けてきたところとかさ、めっちゃ優しい子!!何この子!優しい!って思うっておかしいじゃん。そういうキャラクターなんだって認識させておいて両極端な場面でこそ「蝉」らしさ感じさせる。自然と惹きこむ力があるように思えた。今思えば、岩西が言った「アイツまだガキだけどよ、強いぜ」って言葉が心に沁みる。

蝉は、渚よりも絶鬼よりも24hTVドラマよりも前。そんな言い訳用意してた訳じゃないけど、完成披露のときの舞台挨拶は映画上映前だったからさ~だから映画を見終わってからやっと、他のキャストさんからの称賛、監督からの言葉、山田さんに掛けられたプレッシャーも含めた言葉のすべてが、誇張でなく冗談でもなく本当のことだったんだ、って思ったんだ。…見終わったあとの鳥肌というかゾワワってジ○リでよくある全身の毛が逆立つ感じがした。室内なのにブワッて突然風がふくみたいな衝撃…というか。

本当のことだったんだ、っていうのは別に信じてなかった訳じゃないんだけどね、みんなやけに山田さんのこと褒めるな~ってね、思うほどだったんだよ~~申し訳ない…

そんなこんなで試写会で見てから公開日を迎えるまでに、自分なりに映画の内容を考察しつつ、いろんな雑誌やテレビで映画についての対談やインタビューを見聞きするんだけど、その中で「山田涼介が最大の発見だった」と発言する監督のインタビューにたびたび遭遇する。はじめは単純に、評価されて嬉しいなって思ってただけだけど、ティーチイン試写会のレポで監督の当初の本音を聞いてから、考えれば考えるほどそう言ってもらえたことがどれほどすごいことかって分かっていったんだ。

山田さんの蝉への起用は、プロデューサーの水上繁雄さんの強い勧めだったそうで。そのときの瀧本監督は「商売に転びやがって」ってCMでみたイメージだけでそう言って、でも何回も勧めてくるから「わかったよもういいよ」と半ば諦めた感じでのスタートだった。(ティーチイン試写会より)

このインタビュー聞いただけでわたし恐怖で涙目。

たしかに映画界での実績は無かったけど、それ以上にジャニーズってだけで偏見の目を向けられることがあるし、アイドルとしての固定観念も植え付いちゃうし、違うのに!よく知らないくせに!ってヲタクがいくら言ったところでファン目線の意見なんて聞き入れてもらえないこともよくあるし。わたしなんて言えもしない雑魚ヲタですし…

だから分かっていても実際の言葉を聞くと怖ぇ〜(´pωq`)と思ってしまったのよ。

そんなこと考えているとただ応援するだけの私って本当に無力だなってとこに行き着いてしまうんだけど、自らチャンスをモノにしていく山田さんを見ているとやっぱり応援せずにはいられないわけで。

「やってみたら僕が一番びっくりしちゃって。本当に素晴らしいなと思っているんです。(略)なので嘘偽りなく、これが最大の発見で現場で一番びっくりしたことです。」

誰もが得られるわけではないチャンス、ジャニーズだから得られるチャンス、ジャニーズだから科せられるプレッシャー、山田さんが俳優として活動していくにはたくさんの壁があるだろうし、本人が一番それを実感していると思う。それでもすべてを受け入れて、打ち破って、期待以上に応えてみせる山田さんの努力は実力となって認められていくんだなぁと強く強く確信した。

 

そんでもってここ数年、山田さんの演技は素人目のわたしから見ても役へ入り込むパワーがすごいと思う。というか、見ているこちら側を役に入り込ませるくらい役になりきってるって言ったほうがしっくりくるのかなぁ…

今回は共感できるはずもない暗殺者(蝉)の心情や「殺す」「生きる」ことへの考え方が随所に感じ取れる気がする。

言ってしまえばファンの意識から「山田涼介」を消して、「蝉」として見せられるってすごいな!っていうヲタク的見解。

私自身ちゃんと役として山田さんを見てたことに後々になってびっくりする。クライマックスの鯨とのアクションシーンなんてとくに、蝉の想いが同調するかのように頭に流れ込んできて感情がぐちゃぐちゃにさせられた。そしてなんでそんな感情になってしまったのか、初めは理解できなくて考えさせられた。それについては後ほど。

 

 

ここからは物語について。というかほぼ蝉について。

 

試写会で見終わったあと、率直にこれが蝉にとってのハッピーエンドだ。と思って涙が溢れた。

死んだのになんでハッピーエンドなんだ?って自分の感情に疑問を持ったのだけど、シジミを羨ましく思う蝉にとって、自分が人間である以上、「生きている証」は求めても絶対に手に入れられないものだったはずで。人を殺すことで生を感じ、殺す、殺されるかの日常の中で、岩西という心許せる存在、そして鯨とのガチな戦いで「生きている証」を手に入れることができたんじゃないかなぁと思えた。

 

まぁとりあえず、まずは登場シーン!めっちゃかっこいいね!!!

ジャン ジャンジャン ジャン って音楽がいい!サントラ欲しい

 

電撃殺虫器を見つめる蝉、そして疎ましそうにそれを壊した瞬間、耳鳴りが消える。雨具のフードをかぶり今日の仕事のターゲットの元へ進む。ここのシーン、見方によっては虫を助けたようにも見えた気がしたんだけどどうだろう…?

ターゲットが多数いるにもかかわらず堂々と入り口から入り、次々と仕事を遂行していく蝉。「ナイフ使いの若き殺し屋」の代名詞のごとく、ナイフを巧みに使いこなしながら、襲いかかるターゲットたちを無駄のないすばやい動きでかわし、的確に急所をついて刺殺していく。そのためらいの無さは表情からも見て取れる。返り血を浴びる瞬間は目を閉じ、顔についた血を手で拭う。動きのすべてが慣れている。そして感情が欠落しているのかと思うほどに淡々とこなしていく。しかし、次第に逃げ始めるターゲットに対して手応えを感じない、と蝉は苛立ちはじめる。が、さらに容赦なく殺していくだけだった。

「寺原ぁ?俺はただお前らを殺りに来ただけだ」

目の前にいる自分ではない誰かに命乞いをするターゲット。その最後の一人をも殺し、仕事を終える蝉。そして岩西の事務所へ帰った蝉はそのことについて愚痴をこぼす。

「アイツ…命乞いをしやがった。殺す、殺されるかってぇのはガチな関係じゃねぇのかよ!」

愚痴の内容を無視すれば年相応の少年がただイラついているだけにも見えるのだけど、人を殺すことで生を感じる蝉の姿が描かれていたんだと思う。そして戸惑い。

今思うと、普通じゃない普通の日常の中で、心からの疑問をぶつけられる岩西がいるからこそ、蝉の精神の均衡が保たれていた気がする。

セリフこそないものの、岩西のミスにカチンときて酒ビンを蹴り飛ばしてしまったときのヤバイ…の表情から、「雇い主に向かってなんだその態度は!」と岩西に言われたときの「雇い主?相棒じゃないのかよ!」と怒りに混じる悲しみの表情になる蝉が印象的で、不安定に感じられた。心の拠りどころというか、岩西の存在の大きさが伺える。

 

そして岩西の死。

岩西からの電話で「俺たちは相棒だ」と仲直りするも鯨が現れる。鯨の「お前の罪はなんだ?」という問いに、「あいつをこの稼業に引き込んでしまった」と蝉に対して罪の意識があることを吐露する。死の理由として蝉が引き出されるなんて…そんな岩西もまた、蝉の存在が大きいんだなぁと伺えた。とても切ない。

そして電話口でこれが最期となってしまうことを告げられる蝉。なにも出来ない状況と「耳鳴り治るといいな」と気遣う岩西の言葉。

「俺は飛ぶんだ、死ぬのはそのついでだ」

「岩西ィィィィィ!」電話から聞こえる蝉の声が部屋に響き渡る中、鯨は去っていく。しかしそのときの蝉の描写はない。そして雨に打たれながら岩西の死体が回収される様子を静かに見つめる蝉の姿。

 

一方、鯨も自分自身に囚われ続ける罪の意識の連鎖を、すべて終わらせるために岩西を殺し、次に寺原会長の元へ乗り込む。

そして蝉も岩西が最期に用意した発信機を頼りに鯨の元へ現れる。

 

「たった一人のダチだったんだ。岩西の仇、取らせてもらう」

最後、鯨とのアクションシーンで蝉がナイフを手放す演出は最高だった!!!

これは原作に無い行動だと思う。そもそも、原作の蝉と岩西は映画とは関係性の描かれ方が全然違うし。とりあえず、この「ナイフを手放す」という行動で私は一気に飲み込まれていった。原作の鯨と蝉の戦いは「運命が繋がる」ことが強く印象に残ったシーンだったけど、映画では鯨と蝉へ深く感情移入させられるシーンになったと思う。

蝉にとってナイフは象徴的なアイテムだし、鯨は今までのターゲットとは違い、目の前にいる蝉をきちんと見ていたし、まさに蝉が望む殺すか殺されるかガチの関係なはず。そこでなぜナイフを手放し、素手で戦ったんだろうかと考えた。

 

蝉は耳鳴りに悩んでいた。それを最期の電話で岩西に打ち明ける。

「人を殺るとき、なにも考えちゃぁいないって言ったけど、耳鳴りが消えればいいなって考えてる。あともうひとつ、耳鳴りがしないときがある。お前とくっだらない話をしてるときだ」

仕事の相棒でもある岩西を失った蝉は、耳鳴りを消す手段を2つとも失ったことにもなるのではないかと思った。そして思いついたように耳を切り落とし、ノイズが消えたことで遂にすべてから解放された。

解放された蝉にとって、殺し屋の自分はもう必要ない。そこにはもう、殺し屋としての「蝉」はいない。という意味でナイフを手放したのではないだろうか。

「初めからこうすりゃノイズは消えたんだ」

のあとに「こいつぁもう要らない」と聞こえた気がした。「こいつ」はナイフであり、過去の自分でもあり。そしてそれを棄てる。

そして鯨との戦いは、耳鳴りを消す為ではなく、仕事でもない。唯一のダチの仇という、蝉自身の意思が初めて込められた殺すか殺されるかの戦いが、素手という形になったのではないかと思う。

 

それからもうひとつ、蝉はシジミの泡の「生きている証」に執着していた。

プクプクプクプク泡を吐きやがってよぉ…生きてるって分かっていいなぁ、人間もそうやって生きてるって証が目に見えりゃぁいいのにな」

蝉は鯨との戦いの中で、鯨にすべてを終わらせることの理由を聞いている。そして、

「そいつぁヘビーだ」「あんたの吐く泡が見えるぜ」

 自分と同じく、強い意志をもって自分を殺そうとしていることを知り、さらにはシジミを鯨に重ねる。人間には見えるはずのない「泡(生きている証)」が鯨に見えると言った。

蝉は岩西の仇を討ち、鯨はすべてを終えた。鯨の車に蝉も乗り込み、とりあえず自分の家に行こうか、と言う蝉。そして車は音も無く走り出す。

「生きている証」を、人間である鯨に感じ得ることが出来た蝉は、鯨をシジミに重ねたように自分も鯨と重ねることで「生きている証」を感じられていたのではないかと思う。闇の出口が「生」とは限らない、結果的には「死」となったけれど、蝉も鯨も出口からは出られたんじゃないかな。ん~そうであってほしいな。助手席に座る蝉の表情からはそんな気がした。

 

 

「俺の泡も見えるかなぁ?」

鯨から答えは聞けなかったけれど、この蝉の問いにどうにかして答えたい。

 

 

「君の吐く泡も見えるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとかまとめられた気がする~~ふぇ~~

って思ったが、鈴木!!!

蝉と鯨のことしか書いてないな…。次は鈴木の視点でもきちんと映画を見てもっともっと深く掘り下げてみようと思う。…我ながら脳内キャパの小ささに泣く…

 

最後になったけど、原作とはだいぶ違う印象になったなぁと思う。

原作では蝉が鈴木を救い出すシーンとかあるし、3人の運命の交わり方が深い印象。でも蝉と鯨の戦いはわりかし偶然だったり、岩西の仇を討つために蝉は鯨と戦ってなかったり。さらには耳鳴りという設定もない。だから映画のほうが蝉と鯨の人間味が掘り起こされた印象が強くて、こんなに考えさせられてしまったのかな…と。

 

決して交わるはずのない3人の運命が引き寄せられ1つに繋がったときそれぞれが抱える闇の出口が見えてくる。(公式サイトより)

私的に結末の捉え方は、はっきり言って原作と映画ではまったく違う印象になった。どっちが良いとかじゃないけど、原作を読んだあとはポッカリと心に穴が開いた感覚だったんだ〜。でも、映画を見終わったあとは、そのポッカリの中にこれはハッピーエンドだ〜…って生温かい気持ちがぬるっと湧いた感じ。救われた、って表現が近いかな?語彙力無さすぎてツライ(今さら…)

 

とにかく、

役者さんの演技や音楽などで「言葉の要らない表現」ができる映像ならではの良さがぎっしりつまった映画化だったと思う!

文字の世界が映像となって広がる感動を味わえるかなーと。

グラスホッパーの世界に出会えて良かった!巻き込まれて良かった!むしろしばらく抜け出せない!

終わり!